創業ストーリー

第1章: 何の変哲もない毎日から突然始まった、新たな冒険
私は、普通の高校生として何の変哲もない毎日を過ごしていました。しかし、学校の雰囲気が自分にはどうしても合わず、進路や未来に対する希望を見出せずにいました。周りが進学や就職の話題で盛り上がる中、私は一人、途方に暮れていました。そんなある日、親友がふとこんなことを言ったのです。「よかったらさ、おれんちの親父の仕事、手伝ってくんない?」何も考えずに断りました。「そんな大変そうな仕事、俺には無理だよ」と。
しかし、その一言が私の心に残り続け、学校生活に対する違和感を強める一方でした。親友の頼みを無下にするのも気が引けて、「一度だけなら」と軽い気持ちで手伝いに行くことにしました。それが、すべての始まりでした。
現場に足を踏み入れた瞬間、空気が変わるのを感じました。シーリング防水の仕事は、想像以上に大変でした。体力が必要で、細かな技術も要求される。最初は何もかもがうまくいかず、叱られることばかりでした。それでも、なぜか自分の手で形を作り上げる感覚が楽しく、気がつけば仕事にのめり込んでいました。そんな私を見て、師匠がある日こう言ったのです。「おまえ、この仕事が向いてるんじゃないか?」その言葉が、私の心の中に強い火を灯しました。シーリング防水の道に進もうと決意したのは、まさにその瞬間でした。
第2章: 見えない場所にこそ、魂を込めろ
16歳で、私はシーリング防水の見習いとして働き始めました。最初はただがむしゃらに仕事を覚えることに必死で、毎日が挑戦の連続でした。手先が不器用で、何度も失敗を重ねましたが、それでも少しずつ技術が上達していくのが感じられ、仕事への愛着が増していきました。初めて完璧にシーリングができた日のことは、今でも忘れません。その達成感と喜びが、私の新たな夢となったのです。「この技術で独立したい。自分の力で道を切り開きたい」と、強く心に誓いました。
師匠のもとで学び続ける中で、私は技術だけでなく、仕事に対する姿勢も学びました。師匠は何よりも「見えない場所にこそ、魂を込めろ」と教えてくれました。表面的な美しさだけでなく、どんな場所でも手を抜かずに丁寧に仕上げること。それが本物の職人の仕事だと。その言葉は、私の心に深く刻まれ、シーリング防水の技術を磨く毎日に対するモチベーションとなりました。
第3章: 師匠との別れと新たな決意

19歳の時、私にとって大切な存在だった師匠が、ある事件に巻き込まれ、突然警察に逮捕されてしまいました。師匠の不在は、まるで世界がひっくり返ったかのように感じられました。師匠は、技術だけでなく人生をどう生きるかを教えてくれた大切な存在だったのです。彼の言葉を支えに、私の夢は膨らんでいったのに、それが一瞬で崩れてしまった。「俺はどうしたらいいんだろう…」絶望と喪失感で、まるで霧の中をさまようような日々を過ごしていました。
その状況を打破するため、私は新たな道を探しに東京へ行くことを決意しました。「ゼロからやり直す」と自分に言い聞かせ、希望を胸に東京に向かいました。都会の街並みに包まれながら、新しいスタートを切ることに興奮し、夢を追いかける決意が再び燃え上がりました。人生は思いがけない方向に進むものだと痛感しながらも、前を向いて進んでいきました。
第4章: すべてを捨てて、山形に戻る
東京での生活は順調に見えました。新しい環境で多くの経験を積み、シーリング防水の技術をさらに磨き、独立への道をひたすら進んでいました。しかし、ある日突然、母からの電話が鳴りました。その声は震えていました。「ヒデ、お母さんとお父さん、離婚するの。だから、あなたに助けてほしい」母の涙声に、胸が締め付けられるような思いでした。今まで育ててくれた両親が別れるという現実は、私にとってあまりにも辛いものでした。
東京での夢を諦めるのは簡単ではありませんでしたが、母の願いを断ることはできませんでした。私は、再びすべてを捨てて、母のもとへ戻ることを決意しました。山形に戻り、家族の支えとなる決意を胸に、新しい人生を始める覚悟をしました。夢のような東京生活は、わずか3年で終わりましたが、それは新たな始まりでもありました。
第5章: 自分で会社を作り、この業界を変えてやる!
山形で再びシーリング防水の仕事に就きましたが、そこで感じたのは、期待していたような、丁寧な仕事をする職人が少ないという現実でした。多くの会社が、私が求めていた「見えない場所にこそ、魂を込める」という信念とは程遠い、雑な仕事をしていました。私の周りの職人たちは、見える部分には力を入れるものの、足場を組んで確認でもしない限りお客様からは見えない死角の部分に関しては、手を抜くことが常態化していました。シーリング材の中には非常に高価なものもあり、それを理由に材料費をケチるために薄くシーリングを施工するような業者もいる始末でした。この状況に、私は心底失望し、「こんな会社ばかりで本当にいいのか?」と毎日自問自答する日々を過ごしました。
シーリング技術は、施工した部分が明らかに見える場所もあれば、全く見えない箇所もあります。例えば、建物の2階以上の高さや、死角になるような場所では、シーリングを施した箇所が直接見えないため、悪質な業者であれば「手を抜いてもバレない場所」となり得ます。しかし、私はそのような考え方が大嫌いでした。シーリング材は、紫外線や熱、酸素、さらには水分などの外部要因によって劣化が進行するため、品質の高い施工が非常に重要です。
シーリング材は、太陽光に含まれる紫外線によって光酸化反応が促進され、ポリマーの化学結合が破壊されることで、弾力性や柔軟性を失います。これにより、シーリング材は硬化し、ひび割れや脆化が生じやすくなります。また、太陽熱による温度変化で膨張と収縮を繰り返すことで、シーリング材はさらに劣化し、割れや剥離が発生しやすくなります。さらに、空気中の酸素と反応することで酸化劣化が進み、色褪せや表面の風化が起こり、防水性能が低下します。これらの劣化要因によって、シーリング材の防水効果は時間とともに減少し、雨水の浸入を許すリスクが高まるのです。
だからこそ、シーリング材を厚く塗ることが重要です。厚みを持たせることで、シーリング材は劣化の進行を遅らせ、長期的な防水効果を維持します。また、厚みを持たせることで地震に対する耐久性も向上します。シーリング材の柔軟性と伸縮性が、地震時の建物の揺れや動きを吸収し、外壁や基礎などの構造部分の損傷を防ぎます。シーリング材を「厚めのゴムシート」のように使うことで、地震の衝撃を和らげ、建物の耐久性を高める効果があるのです。
さらに、シーリング材の選定も非常に重要です。防水用のシーリング材には、用途に応じてさまざまな種類があります。シリコーン系は紫外線に強く、長持ちするため、窓枠や外壁などに適しています。ポリウレタン系は伸縮性と接着力が高く、動きのある場所や床の防水に適していますが、日光には少し弱い特性があります。アクリル系は塗装との相性が良く、屋内や外装の目地に使用されますが、過酷な屋外条件には適していません。ブチルゴム系は水や湿気の侵入を防ぐのが得意で、防水シートの目地などに使われますが、紫外線には弱いです。それぞれの特性に応じた材料を適切に選び、見えない部分にこそ高品質な材料を使うことが重要です。
私は、周囲の業者が見える場所だけに力を入れるのを目の当たりにして、「このままではいけない」という思いを強くしていきました。お客様が見えない場所は、つまりお客様が経年劣化を直接確認できない場所です。だからこそ、シーリング防水職人として、見えない場所にこそ最高の技術を注ぎ込むべきだと感じたのです。
そういった理由から、私たちが自信を持って言えるのは、他社が手がけるシーリング施工よりも、私たちが行うシーリング防水加工は、しっかりと厚みを持たせて塗ることに徹底的にこだわっているという点です。これは、私たちの技術と仕上がりの最大の特徴であり、品質の違いを生む重要な要素だと考えています。
そんな中、学生時代からの友人たちが私に個人的に仕事を依頼するようになりました。彼らは、私と同じ建築関係で切磋琢磨してきた仲間であり、私の技術を信じてくれる貴重な存在でした。彼らの後押しを受け、「今の会社に満足できないなら、自分で会社を作り、この業界を変えてやる!」と決意しました。自分自身で人生を切り開くため、ついに私は独立の道を選んだのです。
この決断には、「見えない場所にも魂を込める」という、師匠の教えを守り続けたいという強い信念がありました。私は他社にない、確かな技術でお客様の大切な建物を守るため、自らの手で新たな挑戦に立ち向かう決意を固めたのです。友人たちの信頼と期待が、私にその一歩を踏み出させる大きな力となりました。
第6章: 独立と挑戦の日々
22歳の秋、私は個人事業主としての一歩を踏み出しました。何もかもが手探りで、無我夢中で突っ走る日々が続きました。新しい仕事を取り、信頼を築きながら、少しずつ会社を大きくしていく過程は、苦労の連続でした。しかし、それ以上にやりがいと達成感を感じていました。「無いならば、俺が作るまで」という覚悟で始めた事業は、順調に成長を見せていたのです。
ところが、38歳の頃、突然腰に激痛を感じるようになりました。ある朝、ついに立ち上がれないほどの痛みが走り、救急車で病院に搬送されました。医師から「いますぐ手術が必要だ」と告げられ、私は一瞬で未来が見えなくなりました。仕事を続けることができず、収入も絶たれ、全てが崩れ去るような感覚でした。

第7章: 信頼できる仲間たちと共に
そんな私を支えてくれたのは妻でした。「私があなたの代わりに頑張るよ」と、彼女のその一言がどれほど私を救ったか計り知れません。
もともと手先が器用だった妻は、私から技術を教わると、まるで乾いたスポンジが水を吸い取るかのように、すぐにシーリング技術をマスターしていきました。驚くほどの速さで技術を習得し、今では私と同じくらい…いや、それ以上の技術力を持つまでに成長しました。
妻は、いつしか会社の代表取締役を務めるようになり、私のビジネスパートナーとして欠かせない存在になりました。彼女と共に、私たちの会社はさらに成長を続け、信頼できる仲間たちと共に新たな挑戦に向けて進んでいくことができました。
第8章: 信念を貫き続ける道
私は16歳でこの業界に入り、これまで様々な困難に直面してきました。師匠の教えと信念を胸に刻みながら、業界に新しい風を吹かせたいと独立しました。時には挫折し、時には病に倒れましたが、私たちの会社は、最愛の妻と信頼できる仲間と共に、その思いを貫き通してきました。「無いならば、俺が作るまで」という覚悟で始めたこの道は、今もなお続いています。
お客様からいただく感謝の言葉が、私の励みであり、初心を忘れず、仕事のクオリティを上げ続けるモチベーションとなっています。私はこの道を選んで本当に良かったと、心から思っています。

エピローグ: あの頃の自分へのメッセージ
もしも20代の頃の自分に声をかけられるなら、こう伝えたいです。「ヒデ、20年後のお前は、最高にハッピーな日々だぞ!」と。人生は思い通りにはいかないことも多いですが、その中で信念を貫き、愛する人と共に歩む日々に感謝しています。これからも初心を忘れず、全力で仕事に取り組んでいきます。
創業当時は、何もかもが手探りで、本当に多くの苦労を重ねてきました。初めての現場では、技術を磨くことに必死で、失敗も数え切れないほどありました。自分の限界を何度も感じながら、それでもあきらめずに前を向いて走り続けました。いつも心の中には、「いつか必ず、この仕事で誰かを幸せにしたい」という思いがありました。
あの頃、ただひたむきに取り組んできた日々が、少しずつ報われるようになったのは、たくさんのお客様との出会いがあったからこそです。今では、本当に多くのお客様に恵まれ、その方々からいただく「ありがとう」の一言一言が、私たちの心を温め、支えとなっています。その感謝の言葉が私たちの成長の原動力となり、何よりの喜びです。
お客様からの「ありがとう」を積み重ねていく中で、私たちは確かな幸せを感じています。そして、その幸せがまた新たな挑戦への勇気となり、私たちを前進させてくれています。これからも、多くの笑顔と「ありがとう」を集め続けていけるよう、全力で努めてまいります。
私たちが日々の業務を通じて成長できるのは、何よりもお客様からの信頼と支えがあってこそです。皆様から頂戴する温かいお言葉やご意見、ご期待の声が、私たちにとって大きな励みとなり、仕事への情熱をさらに燃やしてくれます。私たちは、これからも「見えない場所にこそ、魂を込める」という信念のもと、常に質の高いサービスを提供し続けることをお約束いたします。お客様の安心と満足を第一に考え、技術の向上とサービスの充実に努めてまいります。
皆様のご期待に応えられるよう、そして皆様の日常をより安全で快適なものにできるよう、社員一同、これからも全力を尽くしてまいります。改めまして、日頃のご愛顧に心より御礼申し上げます。今後とも、カネボウ技工をどうぞよろしくお願い申し上げます。
参考文献および論文:
UV劣化に関する研究: "Effect of UV Radiation on Sealant Durability" (Journal of Building Materials, 2021)
酸化劣化に関する研究: "Oxidative Degradation and Sealant Lifespan" (Materials Science Reports, 2020)
熱膨張・収縮の影響: "Thermal Expansion and Contraction of Building Sealants" (Journal of Structural Engineering, 2019)
防水性能に関する実験データ: "Durability of Waterproofing Sealants under Various Conditions" (Construction Research Journal, 2022)